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どうせモテないし、泣けるコピペでも集めるか

1 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:09
J( 'ー`)し たけしへげんきですか。いまめーるしてます

(`Д)   うるさい死ね メールすんな殺すぞ

J( 'ー`)し ごめんね。おかあさんはじめてめーるしたから、ごめんね

(`Д)   うるさいくたばれ、メールすんな

J( 'ー`)し お金ふりこんでおきました。たいせつにつかってね 食事はしていますか?

(`Д)   死ねくそ女

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            o
__        ゚ 
 母 |
 の |
 墓 |  ∴  ('A`)カーチャン..........
──┐ ∀  << )

2 :('A`):04/02/24 00:10
ザンギエフの方が見たい

3 :('A`):04/02/24 00:11
>>1
マジ、今殺したい

4 :3:04/02/24 00:13
ごめん。
あまりにもむかつきすぎた。
透明あぼーんしとくわ。

5 :('A`):04/02/24 00:17
ttp://www.wdirewolff.com/jcomic5.htm
ここにいっぱいある

6 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:18
俺は末期の癌で、ある病院に入院した。俺に当てられた病室にはもう一人、
もう先は長くない俺と同じ境遇の男が隣のベッドに横たわっていた。
カーテンで仕切られているため奴の顔を見ることはできなかったが
お互い少なくなった時間を潰すように、孤独を打ち消すように話をするようになった。
話の内容は、退院したら一番先に何を食べるか、どんな相手と結婚するか、
結婚したらどこに住むか、子どもは何人ほしいか、老後はどう過ごすか、二人とも現実を受け止め、
この先の人生なんて無いと分かっているのに当たり前のようにそんな話をした。
窓側のベッドだったあいつは窓から見える景色を俺に聞かせてくれた。
窓からは病院の前庭が見えて、満開の桜の木に小さな鳥がとまっている。
俺はそんなのどかな風景を想像して辛うじて心に平安を保っていた。
それと同時にそんな景色を見ているあいつが羨ましくもあった・・・。

ある夜、俺は奴の呻き声に目が覚めた。俺はナースコールに伸ばしかけたその手を止めた。
(あいつがいなくなれば窓側のベッドに移動できる。
あいつには悪いが、せめて最期くらい少しでも長く奇麗な景色を見ていたい・・・。)
俺は罪悪感に苛まれながらも奴の呻き声を無視して寝たふりをしていた。
案の定、奴は次の朝に息を引き取り、俺は看護婦に窓側にベッドを移動するように頼んだ。
(これであいつがみていた満開の桜を俺も見ることができる。平安に満ちた最期をおくれる。)

だが期待して見た窓の外に見えたのは、隣のビルの、コンクリートの壁だった・・・。

7 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:20
大学のとき、高校の同級生の女の子がALSを発症した。
そう親しくもない子だったし、ALSってどんな病気かも知らなくて
軽い気持ちで大学の近くにあったその病院に、ひまつぶしで見舞いに行っていた。
ある日彼女が、病室で言った。
「あたし処女のまま死ぬのってイヤだなあ、ねえ今度夜這いにこない?」
その晩実際に夜這いに行った俺を迎えた彼女は、病院の寝巻姿ではあったが
髪はちゃんと整えてあり、うっすら化粧をして、下着も当時流行り始めたTバックだった。
行為そのものは少々やっかいで、彼女は自分で脚を開くこともできなかった。
彼女はわざとらしい喘ぎ声をあげて、なんとか無事終ることができた。
そのあと俺に寝巻きを着せてもらいながら、彼女は嗚咽していた。
翌日俺の実家に彼女の母親から、「息子さんの優しいお見舞いに感謝します。」と
電話があったという。俺はまさかと思ったが、しばらくして戦慄した。
彼女はもう、起き上がることすらできない。トイレだって行けないから
たぶんおむつの世話になっているはずだ。
では誰が?
彼女の髪をとかし整えてやったのか
彼女に薄化粧を施してやったのか
彼女のおむつを脱がし、流行りの下着をはかせてやったのか
それがわかったとき、嗚咽とはいかないが不覚にも涙が出てきた。

あれから8年、彼女はもはや目も動かせない状態で今も闘病を続けているという。

8 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:24
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6のときにクラスの
給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。どーしても欲しくって、
中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びた
ハンドクリームの缶を見せられた。泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

9 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:32
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

10 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:34
事情があって生活保護を受けている母子家庭の知人の子供が
夏休みに法事で東京へ来た。
「おじさんがディズニーランドへ連れてってあげるよ」と言うと
頑なに固辞するので、子供のくせに遠慮するなあと思って理由を訊いたら
「だって高いから」とだけ言うと、その子は下を向いてしまった。
「じゃあおじさんと、明日どこかドライブへ行こう」と次の早朝連れ出した。

首都高から湾岸線、浦安で降りるとTDLの看板があり、その子は
まだきょとんとしていたが、駐車場へ入るあの角を曲がったときの
その子の驚きと感動の歓声が忘れられない

持ちきれないくらいのおみやげを買ってやり、
5万くらい使ったが、馬にぶち込むよりはいい使い方だと思った。

11 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:37
当時、仕事を辞めたばかりで一人でフラフラしてた頃。
両親が遊びに来て、色々買ってくれた上に
家で作ってきた高野豆腐を、冷蔵庫に置いて行ってくれた。

その次の日、母は入院。
あっという間に亡くなった。
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった。
大泣きしながら食った。

あれ以来、高野豆腐は食べられない。

12 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:38
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。

 親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。

 横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。

13 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:38
昔、香り付きの消しゴムがはやったとき、キウイの香りの消しゴムを買った。
が、すぐにクラスで盗難事件に遭い、結局出てこなかった。
ちなみにこのことはクラスで大事件になってしまった(その時一年生)。

とても悔しかったので家に帰って母に泣きながら話した。
数日後、母はコケシの形をした消しゴムを買ってきてくれた。
その時は良い香りもしないし、こんなのかわいくないとか
思ったけど、今考えると泣きそうになる。

14 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:39
中学に入ったすぐくらいは成績も優秀でまじめだったんだけど、次第に
悪い先輩やら友達やらとつるみ始めたと同時に反抗期がきたようで、
親に対して色々と口汚いことを罵ったりしていた。中2のあるひ、万引き
で捕まって、父は一言も口を聞いてくれず、母は私の部屋を家捜ししていた。

でも、次の日の晩、母が私の部屋にきて「この手が悪かったんだね」と
手をつないでいっしょに寝てくれた。もう絶対に母を悲しませるようなこと
はすまいと堅く心に誓った。涙がいっぱいでた。

15 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:42
お正月に家族が集まったときに。
父親が私にかずのこを食え食えとうるさくしていた。
なまものは苦手な私がキレて「しつこい!いらないっていってるでしょー!!」
と怒鳴ったら、弟がとても静かに、
「お前が食えばパパが嬉しいんだから、一口食えよ」と言った。
その雰囲気に圧倒されて父親の箸からぱくりと食べてしまった。
・・・結婚していつのまにかオトナになっていたバカ弟に・・ショック・・。
父親も、弟に庇われてちょっと言葉を失っていた・・。

16 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:44
保育園の時です。
ちょっと貧乏だった私の家は、共働きでした。
保育園は3時に終わるのですが、親が仕事などで迎えに来れない子は
保育園が延長保育で見てくれていました。
私を含め、10人くらいいました。
みんなで運動場でゲームをやったり、遊具に乗ったりして、迎えが来るまで過ごすのですが、
夕方になるにつれ、だんだん迎えがきて
最後は私と2人の先生だけになりました。
私は子供心に
「私だけまだ居て、先生に悪いなぁー」とか
「もう、母さんこないのかなぁ」とか、考えてました。
なんだか寂しくなってきたころ、ふと外を見ると・・・

「ヨシーっ!ヨ〜〜〜〜〜シっ!」
夕焼けで真っ赤に染まった道路の向こうから、
母が自転車に乗ってやってきました。私の名を呼んでいます。

あの時の母の呼び声と、夕焼けの赤さと、先生の優しい顔が
脳裏に焼き付いてます。
その光景を思い出すと、なんだか涙ぐんでしまいます。
ただの日常的な光景なのにね・・・

17 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:45
中学生の頃、夏休みに自分で一週間の少年キャンプに申し込んで
参加した。結構スパルタっぽいとこだったんだけど
なんだか自分を鍛えたかったから。

両親は離婚してたので母とは別居してたのだけど
その母が終了日の解散場所に1時間半かけて迎えに来て
嬉しそうに手を振ってた。

「最後まで一人で成し遂げたかった」自分は
「なんで迎えに来たの、一人で帰りたかったのに!」とムクれ
帰り道、口をきかなかった。母は「そんな事言ったってお前・・」と
泣きそうな顔して「ごめんね」と呟いてた。

あの時はせっかく迎えに来てくれたのに
ヒドい事言ってゴメン。反省してる。

18 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:47
一番最初の自分の記憶は、三才の頃。
家族で動物園へ行った時、父と「コーヒーカップ」に乗った。
怖くて泣き出した。
山羊の檻の前ですましたポーズで父に写真を撮ってもらった。
山羊が私のブラウスの袖をくわえてなかなか離さず、泣いた。
父は笑っていた。
一週間後、父は事故に遭い、病院のベッドにいた。
私が持っていたビスケットを「一つパパにちょうだい」
と、云われたが、包帯を頭にぐるぐる巻いているのが怖くて
いやいやをした。
その日、容態が急変し、還らぬ人となった。
大人が皆ベッドの周りで泣いていた。
私は訳もわからずに
「わ〜い、おとながないてるよ〜、○○ちゃんはつよいから
なかないもんねえ〜」と、手を叩いてはしゃいでいた。

最後にビスケットをあげれば良かったと悔やんでいる。

19 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:49
僕が野暮用で九州のある田舎から名古屋に10日ほど行くことになった
んです。で、出発前日、母と話しをしていたら10日も駐車場に停めとい
て大丈夫か?私が送り迎えしてあげるよ。
って言ってくれたんです。
でも、そのときの母は体の調子が悪かったので、僕は断りました。

そして、僕が旅たった数日後、母は入院してそのまま死んでしまいま
した。僕が帰ってくる前の日に・・・。
そんな具合が悪かったのに「送り迎えしてあげるよ」と言ってくれた
母のことを思い出すと・・・・ホロリ(涙)
ちなみに空港まで来るまで片道1時間半。

20 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:50
直接覚えているわけではないけど、
私が3歳、弟が6カ月頃の家族の会話を吹き込んだカセットテープがある。

休日のお昼だったらしく、母が台所で焼きソバを作っていて
私と父が居間で弟をあやしながら、大声で歌を歌っていた。
桜田じゅんこの「くちーづけーのそのあとでー…」と私が歌えば、
父が北島三郎の「はーるばるきたぜ、はーこだてー…」と熱唱。
その合間に弟の声が「あ〜、う〜」と入っている。
そして、母の「焼きソバできたよ〜」の声が。
「○○(私)焼そばきら〜い」
「え〜でもごはん炊いてないで〜」
「○○、なんでも好き嫌いせんと食べなあかんやん」…

こんなありきたりな場面だけど、私にとってはホロリとくる思い出です。
両親とも早くに亡くなっちゃったからかな。
もっと長生きしてほしかった。
今、あの頃の私達姉弟みたいな孫が2人いるのにね。
見せたかった、だっこさせてあげたかったよ。

21 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:55
大学の時、私は実家を離れて一人暮らしをしていました。
一人暮らしに慣れて、なかなか実家に帰らずじまいでした。
ある日、まだ講義を受けている時間に、電話がかかってきて、
「今、アンタの下宿先にきてるから、はやくかえっておいで。」と言いました。
私はちょうどそのころ、男に二股かけられ、あげくの果てに、授業もいそがしく、
友達には裏切られ、精神的にまいっていて、イライラしていました。
私は母に、
「どうして連絡ナシに、急にくるの?!私だって予定があるのに!
もう、かえって!!」と、言ってしまった。
家に帰ると、机の上に母が実家から作ってきたお弁当とおこずかいと手紙。
「暖めて食べなさい。体に気をつけて頑張るんですよ。何があってもお母さんは
あなたの味方です。母」
私に、何かがおこったというのを、多分感ずいたのでしょう。
その手紙と、手作りのお弁当を見て、大泣きしていました。
あとから弟から聴いた話では、母は目を真っ赤にしてかえってきたそうです。

そんな私も、卒業して、地元に就職。
ケンカも未だにするし、八つ当たりもしちゃうけど、
お母さんの子で、良かった。
いつか親孝行できるようにがんばるね。

22 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 00:58
私が中学生だった頃、父に連れられて親戚のおばちゃんの家に行った。
おばちゃんは若い頃結婚に失敗し、弟は戦争で死に、姉(父の母親)は先月肺ガンで
死んだばかりでアパートで一人暮しをしていた。

私が来た事をすごく喜んでくれて、お餅をいっぱい焼いて昔のお金をくれた。
でも正直、ごちそうとお小遣いを期待していたわたしはガッカリした。
おばちゃんの家のテレビが無くなっていることに気付いた父が「どうしたの?」と
尋ねると「お水をこぼしちゃって修理に出してるの」と笑って答てたのをよく覚えてる。

その夜、おばちゃんは倒れて帰らぬ人となった。
お通夜の時、「おばちゃんは貧乏だったからお餅と古いお金しかお前にやれなかったんだよ」と聞かされた。
後日テレビも質に入れていたことがわかった。
どうしてあの時、家にあるテレビをすぐに持って行ってやらなかったんだろうと父も後悔している。

おばちゃん、あのときはまだ子供で、がっかりしてゴメンね。
今なら週一回でもアパートを訪ねて寂しい思いをさせなかったのにね。
経済的にも援助できたのにね。

23 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:00
お腹の中でこどもが死んでしまって、掻爬しなければならなかった時。
私と全く同じ状態の人と2人で同じ日に入院した。
手術の前の晩に、子宮口を開く為の処置をすることになって
覚悟は決めていたつもりだったのに、いざ処置してみたら
精神的に追いつかなくなってしまい
痛みと、口では説明できない大きなショックで
自分のベッドに戻るなり声を出して泣いてしまった。

相部屋で、他にも切迫流産の人とかも入院していたし我慢しなくちゃと思っているのに
でも口に手を当ててこらえてもこらえても嗚咽が止まらなくてどうしようもなかった。
ふと気付くとカーテンの隙間から一緒に入院した彼女が私を呼んでいて
「痛む?大丈夫?あまりひどいようだったら痛み止めもらった方がいいよ。」
とやさしく声をかけてくれた。彼女は私よりも痛みがひどかったようで、
看護婦さんが痛み止めを持ってくるのに間に合わずにトイレで吐いていた。

手術が終わり退院して何日か後の診察日。
待合室で彼女と会った。あの日泣いていた私のことを心配していてくれた。
彼女は今までなかなか妊娠しなくて不妊治療を受けていたそうだ。
「でも今回で妊娠できるってわかっただけよかった。あなたは私より若いんだから
 また、頑張って。元気でね」
と言って帰っていった。

あれから4年が経って、私も2歳の子供がいます。
久しぶりに彼女の事を思い出して泣いてしまった。どうもありがとう。

24 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:03
大学の時一人暮ししていました。
それまではそんなにひどくなかったアトピーが一人暮しのせいかどわっと出てきて
外に出れないくらい赤鬼さんのような状態になってしまった。
実家からの電話で母親はいつも聞いてた。「アトピーの調子はどう?」
離れているし心配かけたくないので私は「うん、まぁまぁ。悪くないよ」と答えてた。
ある日母が遊びに来た。
私を見てちょっとびっくりしたみたいだけど、別にそのことについては何もふれなかった。
母が実家に帰って2,3日後に手紙が届いた。
「○○ちゃん、あんなに酷くなってたなんて・・・全然気付いてあげられなくてごめんね。
 お母さん、○○ちゃんがお腹の中にいた時に何か悪いことしたのかもしれない。
 それでバチがあたったのかもしれないね。お母さん、○○ちゃんになんてお詫びしていいか
 分からないよ、本当にごめんね」

泣きました。大好きなお母さん、いつも私のことを考えてくれてるお母さん。
アトピーで私もつらいけど、同じくらいお母さんも辛かったんだね。
今は大分よくなって、実家から会社に行ってます。
こないだ両親で食卓を囲んでた時、母がポツリ。
「家族みんなが健康なのが、なにより幸せだね。御飯がおいしいね」・・・って。
私は今25歳ですけど、家族のありがたみをひしひしと感じます。

でも、アトピー遺伝するとか言うし、子供がアトピーになっちゃったら・・・とか考えると
う〜〜んって思ってしまいます。子供に辛い思いさせたくないですもん・・・

25 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:10
私が小学5年の時、金持ちの同級生に「アンタ、まだその服着てるのー」と
3年の時から着ている服をばかにされた。

ウチは貧乏の4兄弟で私は姉やいとこのお下がりを着ることが多かったのだが
自分では全然気にしていなかったし、その時着ていた服も気に入っていたモノ
だったので「今日学校でまだその服きてるのかって言われたよ」と帰ってから
フツーに親に言った。

その週の休日、父がいきなり私にクマのアップリケのようなものがついている可愛い
トレーナーを買ってきた。
「こんなの好きじゃない!」と自分のタンスにも入れずにほったらかしにしていたが
中学に入って小さくなった服の整理をしているときにその時のトレーナーが出てきた。
母が「おまえが学校でいじめられてるのかと思ってお父さん買ってきたんだけどね、
あんた可愛い服嫌いだったし、おまけにあの時じゃ大きいよね。今丁度いいもんね。」
と言ったのを聞いて「とーちゃん、ゴメンよ」と思った。

最近落ち込みまくっている私をさりげなく慰めてくれるのもとーちゃん。
30すぎても心配かけてスマンね。大好きだよ。

26 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:13
昨日の朝、女房と喧嘩した。というかひどいことをした。
原因は、夜更かしして寝不足だった俺の寝起き悪さのせいだった。
「仕事行くの嫌だよな」とか呟く俺。そこで女房が何を言っても
俺は切れただろう。前例もあったし。あいつもそれを良く知ってる
から何も言わなかった。それも分かってたけど、なんだか馬鹿に
されてるような気もして、八つ当たりしてしまった。

すごく美味そうだったのに、せっかくあいつが作ってくれた味噌汁
もおかずも全部ぶちまけて暴言を吐いてしまった。
あいつは泣きながら残りの味噌汁の鍋を流しに捨ててた。ものすごく
後悔したけど、用意してあった弁当も持たず、虚勢をはったまま
謝りもしないで俺はそのまま会社に出掛けてしまった。

夜になって、気まずい思いを抱きながら帰宅した。もしかしたら
女房は実家に帰ってるかもしれないと内心不安だった。が、部屋の
灯りはともっている。しかもなにやらいい匂いもする。
思い切ってドアを開けると、女房は俺の好物のビーフシチューの
鍋を抱えて出迎えてくれた。「これで仲直りしよう」と笑顔で。

俺の方こそ、朝のお詫びに気の利いた土産の一つや二つ買って来るべきだったのに。
もう、自分の勝手で女房に八つ当たりをしないようにしようと心に誓った。
本当はあの味噌汁食いたかったんだ。俺は。

27 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:14
1年ほど前、両親が死んだ
東京に出てきて数年、正月ぐらいしか帰ることの無かった俺は仕事を放り出して慌てて帰郷した。
家に帰ると半狂乱で妹が抱きついてきた
事故で即死だったのが唯一の救いだったかもしれない

その後、警察に行って事故車両を見せてもらった時、一緒に渡された物があった
燃えて炭化してしまったに近い状態の財布と靴
女物の靴は大柄な母にしてはサイズが小さく少し不思議に思っていた
でも、財布を空けて気がついた。事故当日の日付の入った靴屋のレシート
間違いない、妹の誕生日プレゼントだったんだと
事故の日から2日後が妹の18回目の誕生日だった

あれから1年、東京に来て最初はほとんど口を聞かなかった妹もなんとか立ち直ったような気がする
だけど、実家においてきたあの靴、あれをいつあいつに伝えるべきか、未だに迷っている

28 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:16
爺さんは昔そば屋をやっていたんだけど、今はお弟子さんに譲って悠々自適な生活をして
いた。それでも、お弟子さんが可愛いのか気になるのか、たまに店に顔を出してはお弟子
さんの手伝いをしていた。

その日もお弟子さんの店に顔を出して、店の手伝いをしていたら出前の注文が入り、爺さ
んが代わりに行ってくると申し出たそうだ。
主人たるもの店にいられる時はいるべきで、出前なんかは引退したジジイに任せておけと
言いそのまま出前に出ていった。

出前先はお得意さんの警察で、行き慣れたところなので往復十分もあれば帰ってこられる
ところなのに、三十分たっても爺さんは帰ってこないので、おかしいと思い始めた頃、出
前先の警察署から電話がかかってきた。
爺さんのバイクが、右折しようとしたトラックに後ろから追突され、意識不明の状態で病
院に搬送されたとの連絡だった。

結局爺さんは三日間ほど意識不明のままでそのまま逝ってしまった。
その時、お弟子さんが俺たち身内にいきなり土下座をして、『俺がオヤジさんに配達を頼
んだせいです。すみませんでした』と泣きながら繰り返していた。
当然、お弟子さんに責任があるなんて思っていなかった俺たち親族は、そんなお弟子さん
を慌てて引き留めたが、それでもお弟子さんは床に額をすりつけたままで顔を上げようと
もしなかった。

そして、その姿を見た時にこれまで堪えていた涙が一気に溢れてきたのが不思議でしょうがなかった。
後日通夜の時に、病院で一緒に爺さんを看取ってくれた警察の人がやってきて、『自分た
ちが出前を頼んだせいで……』と頭を下げた。
その時に叔父が『オヤジの味をそこまで気に入ってもらってオヤジも本望だったと思いま
す。オヤジの味はこの○○君(お弟子さんの名前)がしっかり受け継いでいます、これから
もひいきにしてやってください』と言ったのが今も心に残っている。

あれから十年以上経っているけど警察の人はずっとお弟子さんの店のお得意さんのままだ。

29 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:18
(続き物1)

私が小4のとき、4年4組だったのですが、
川本君という子が、3年生の中間頃、病気で、そのときから入院生活が始まりました。
川本君も4年4組の予定なので、クラスの皆で
「待っていようね。」と約束しました。

そして川本君が回復に近づいていて、戻ってこれるかもしれないという知らせがはいって、
皆で喜んで、
「もう少しだ!」と皆で思って、川本君のために千羽鶴を折ることにしました。
担任の先生が出張で自習だったとき、千羽鶴を折り始めました。

皆すごいスピードで、雑ながらも、目標は明日までにと決めていました。
1〜5時間使ってまでも。
あと15羽、あと14羽、、、と4年生の慣れない手つきで頑張っていました。
5時間目のチャイムがなったころには、後11羽たりませんでした。
「11羽くらいなら、明日先生が来る前におれるよね!」と
家に帰っていきました。

30 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:19
(続き物2)

そして次の日。
「できたーーー!!!」と教室中に声があがりました。
担任の先生が教室にはいってきたら皆で、

「あっ、先生!千羽鶴をね、川本君に折ったんだよ!」
「そう!昨日の自習の時に、頑張って1000個折ったんだよ!」
「これで川本君、一緒に勉強したり遊んだりできるかなぁ?」
「ねぇねぇ、先生。いつくらいにここに戻ってこれるんですかぁ?」
と口々に言っていました。
先生は沈黙。
「・・・先生?」
「どうしたの?川本君は?」

先生は静かに口を開いて
「・・・川本くんは・・・・・・昨日の夜・・亡くなりました・・・」
と先生が涙を流しながら皆に告げたのです。
賑やかだった教室が、一瞬にして静まり返ったのです。
「・・先生、嘘でしょ?」
「だって、もう少しで帰ってこれるって先生言ったよ。。」
「先生のうそつき・・・」
「川本君は死んでないよねぇ?亡くなったって、死んだって意味じゃないよねぇ・・?先生?」
そして皆が涙目になった頃、先生はその場に泣き崩れてしまい、
生徒も泣くしかなくなってしまい、その日の4年4組は、
一番元気なクラスのはずが、一番静かで寂しいクラスとなったのです。
そして千羽鶴は川に流しました。
皆で「川本君へ届きますように・・」と願ったのです。

31 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:21
ずっと長い間、友達以上恋人未満でやってきた彼女。
珍しく、向こうから電話がかかってきて、「今度遊ばない?」っていうから
「うんうん、遊ぼう遊ぼう!」って言ったら、電話の向こうから弟の声が
「姉貴、やめろよ。婚約したばっかりじゃん」
そのとき、自分がどれだけ彼女のことが好きだったかがわかった。
電話を切って、1時間ほど待ってかけ直した。「ごめん、急な用事が
はいっちゃって、いけなくなった。わりい」
電話を切ったあと、どうにも涙が出て、止まらなかった。

32 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:38
随分昔の話です。
とある病院の外科。13歳位の少年が、何の病気かは判りませんが、
体中にチューブを付けられ(点滴、静脈栄養、心電図などの計測機器、人工呼吸器等)
話も満足に出来ない状態にありました。
手術をしても成功率は低く、また成功しても5年生きれるかどうかも判らない。
その手術の前日。
主治医は少年のベッドの傍に座り、
「●●君、痛くないか?苦しくないか?」
と訊いていました。
痛くないわけがないのですが、少年は、点滴針が刺さった手をゆっくり持ち上げて、
ピースの形を作って医者に微笑みました。
それを見たDrは、その手を握り、
「そうか、頑張れ、手術一緒に頑張ろうな」
と言って、何度も何度も励ましていました。
結果、手術後少年は亡くなりました。
その主治医は自室で静かに泣いていたそうです。

33 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:39
小学生の頃、俺は引っ越しばっかで全く友達がいなかった。
ってか、友達なんか必要ないって思ってた。
ホントは寂しくて仕方なかったけど、できあがった輪の中に入ることが怖くていつも一人で遊んでた。
たまに誘われても「どーせすぐ別れる」とか思ってたら愛想笑いして断るのが上手くなった。
で、小6くらいの時またいつものように引っ越しした。
だけど、そのときの引っ越しはいつもとはちょっと違ってもう一度同じ学校に戻ることになった。
小学校2年の時の学校に。
予想はしてた。
居る時間も短かったし俺のことを覚えてる奴はほとんどいなかった。
俺だって相手のことを忘れていた。思い出す気もなかった。いつものように一人で居た。
この年になると表面上つるむ事はし出してたけど大体は一人だった。
で、またその学校で過ごすようになって1週間くらいたった頃、一人の野郎が俺に封筒を渡してきた。
「おかえり。」とか言って。
何言ってんだ?こいつ。とか思って封筒の中身見たら、小2の遠足ん時の写真だった。
集合写真じゃなくて、俺と、そいつで撮ってる写真。
たまたま近くにいたから、気まぐれで、思いつきで撮った写真だろう。
撮ったことなんか全然覚えてなかった。
俺のアルバムはほとんど集合写真。
写真を撮らないから。
撮る相手も撮ってくれる相手もいないから。
家族は写真じゃなくてビデオばっか撮ってたし、ホントどのページも集合写真。
だからアルバムは嫌いだった。
「なんか捨てるに捨てれなくてさ。渡せて良かったよ。おかえり。」
そう言われた時、俺はヤセ我慢した。
無愛想に「捨てても良かったのに。お前アホやろ。」って言った。
ありがとうも言わなかった。
家帰った後、ずっとその写真眺めてた。
「もっと笑えよなぁ、俺。無愛想な顔しやがって。」とか言ってニヤニヤしてた。
・・・嬉しくて泣いていた。

まこちん、あん時はホンマありがとう。
今でも感謝してる。

34 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:39
肺ガンで亡くなった母は、医師に自分だけに告知するようにして、家族には病名を
言わないようにと言ってたらしい。
父は「ポリープがある」としか聞いていなかった。
自分ひとり病名を抱えて、退院後もガッツポーズして見せたり運動したり元気だったけど
体は痩せていった。
退院したのにどうしてと思ったのに、なぜかそれを聞くことができなかった。

ある日とても一人で動けなくなったとき、タクシーで病院に行って初めて父が母のレントゲンを
見せてもらった。肺中にたくさんの癌。。。
そして1ヶ月もしないうちに母は亡くなった。
遺品を整理していたら母の日記がでてきた。
家族のこれからの心配ばかり綴った日記。
もっと長生きしていろんなことしたいよ、と涙のあともあった。
健康に人一倍気遣っていたのにどうして自分が?と。
最後のページには「ずっと(自分を抜きにした)家族で
暮らせるといいね,お父さん」と記して終わっていた。
もしも病名を知っていたら、会社を辞めてでも一緒にいたのに。
どうして私は退院したからと安心して会社に行ってしまったんだろう。
一人で苦しんでいたかもしれないのに。
そんな私も結婚して家を離れたけど、週1回父の所へ顔をだす。
父は毎日、自分が食べるものと同じ物を朝と夜、母の仏前へ供えている。

35 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:40
私が彼と最初に出会ったのは会社の懇談会でした。
ふとしたことから一緒に遊ぶようになり、付き合いはじめました。
私はもともと打たれ弱い性格だったので、彼にグチってしまうことが
多かったのです。
でも、彼はそんな私に嫌な顔一つせずに、優しい言葉をかけてくれたり、
励ましてくれていました。彼はグチ一つこぼさず、明るい人だったので、
「悩みがないなんていいねー。」なんて言ってしまったりすることもありました。

彼との別れは突然訪れます。彼が交通事故で亡くなったのです。
彼のお葬式に行っても、まったく実感が湧きませんでした。
お葬式の後、彼の両親から彼の携帯を渡されました。
何気なく携帯をいじっていると、送信されていない私宛のメールが
たくさんあるのに気付きました。
そのメールには仕事のグチや悩みごとなどがたくさん書いてありました。
その瞬間、私は彼の辛さに気付かなかった自分のくやしさや、無神経な言葉を言った
自分への後悔、常に私を気遣っていてくれた彼への感謝で涙が止まりませんでした。
あの日から1年以上になりますが、その携帯は大切にとってあります。

36 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:41
昔付き合ってた彼が癌で他界したと聞きました。
現旦那に会うまで、一番忘れられなかった人です。
ちょっとした行き違いから別れることになって、いい思い出しか思い浮かばない人でした。
彼以外の人と結婚して子供にも恵まれ、
幸せに暮らしてた私の元に飛び込んできた悲報でした。
共通の知人からの電話で知ったのですが
私が結婚してることもあり一報を入れるのを悩んだようです。
でも、彼から私にメッセージがあるということで連絡をくれました。

後日知人と会い、彼が私宛に書いた手紙を受け取りました。
封筒には「○○○○様」と私の名前がフルネームで書いてありました。
他界する数日前に書いたものだということでした。
その手紙は思ったよりもしっかりした筆跡で綴ってありました。
「君と別れたこと、幸せにするという約束を果たせなかったことを
ずっと悔やんできました。
でも今やっと気持ちが落ち着き、君の幸せを心から喜べそうです。
旦那さんと末永く仲良く暮らしてください。
君と再会する日が少しでも遠い日であることを願っています。」

37 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:42
私が18の時、当時専門学校に行っていてその夏に彼女ができたんです。
夏休み明けて一緒のクラスの友達に報告したら、「幸せだね。羨ましいな」
って、あまり気の無い返事が返ってきたんです。私が「なんかあったの?」って聞いたら
「彼女が死んじゃった・・・」と彼が話し、どうやら事交通故で入院していたそうです。
その子が亡くなる前日、彼が見舞いに行ったら「のど乾いた!ジュース買ってきて」、「花火がしたい!」
と、メチャクチャわがままで正直むかついたらしいです。その夜、急に様態が悪化したみたいです。
彼は、「あの子はわがまま言う子じゃなかったのに、なんで気付いてあげれなかた・・・最後のわがままなのに。」と言っていました。
私は「自分が幸せでいいのか?こんな話してごめん。」と思わず彼に言ってしまうと
彼は「いつこうなるか分らない・・・だからいつでも彼女の事を大切にして、
何かあっても後悔しないくらい愛してあげなよ。」と、声を震わせて私に言いました。

38 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:42
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。

レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。

しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と
言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。咳き込むたびに
ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。
咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。

向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。
その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。

帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよ。」
とカミさんにいった。カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。

39 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:43
私は右手に障害があります。

兄弟が二人いますが、彼らは生まれたときから
幼児期の写真がたくさんあるのに私の写真はありませんでした。
両親に理由を聞くと、「カメラが壊れていて撮れなかったの。」と言っていました。

物心ついたときから私は自分の障害について認識をはじめ、
他人への劣等感、最終的には自分が生まれてきたことへの恨み、
そして両親への恨みへとつながっていきました。
小学校の頃は両親に「右手は20歳くらいまでには治るかな??」
などと聞いていたりしたのですが、上のようなこともあり、
「何で俺は右手が使えないの?何で俺を生んだの?」
と不躾な、両親からしてみると非常にやりきれない文句をいっていたことを覚えています。

今、私は大学の卒業を控え、両親の私を育ててきた苦悩を
多少なりとも知ることができます。
障害をもって生まれてきた私に衝撃を受けて生後しばらく自暴自棄に
なってしまった母親とそれを立ち直らせるために母親を殴った父親の悲しみ、
写真が少ないのもしばらく私に愛情を注ぐことができなかったから、
そのような背景があるからなんです。

でも、私の記憶にある両親は私にたくさんの愛情を注いでくれました。
幼い頃、寝るときいつも父に右手を握ってもらって寝てたことは忘れません。
「おまえの手が早く治るように。」この父の願いは叶わない事は今ではわかります。
一生付き合っていかなければならない障害ですが、私がこの世に生を受けてきたこと、
両親が頑張って育ててきてくれたこと、絶対恩返しします。

来春から就職。本当に頑張って働いて絶対に親孝行します。
パパ、おかあちゃん、長生きしてください。
乱文失礼しました。

40 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:44
自分の話じゃないが阪神大震災の時の話。

木造家屋が倒壊して瓦礫の下、夫婦が身動きとれなくなっていた。
決して仲むつまじい夫婦でも無く、むしろ会話もない冷めた関係だった。
身動きのとれない、お互いは何メートルか離れていたが会話を交わす事はできた。
不思議な事にこんな時になってやっとお互いに本音の言葉が出た。
旦那「ごめんな、俺がもっと稼いどったら、もっと頑丈な家に住めてこんな事にならんかったのにな」
妻「こんな時に何言っとんの?救出されたら、また一から頑張ろうや」
旦那「ありがとう。今まで冷たくしてすまんかったな。一緒に頑張ろな。」
数時間後、救出部隊によって瓦礫は取り除かれたが旦那は冷たくなっていた。

41 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:44
阪神大震災の話をもう一つ。
これは相思相愛の本当に仲むつまじい夫婦の話。
家屋が倒壊して夫婦が壁や柱の下敷きになったが
運良く夫だけがそこから這い出る事が出来た。
夫は愛する妻を瓦礫の下から救い出そうとするものの
なんと火災の炎がみるみる動けない妻に迫って来る。
炎熱と煙に咳き込む夫婦。
「あんた、あたしの事はええから早よ逃げて!」
「お前を放って行けるはずないやろが!」
しかし火の手はみるまに下敷きになって動けない妻にせまる。
目の前で煙火に焼き殺される愛妻。
救いたいのに自力ではどうする事もできない夫。
その夫はその後、あまりの精神的苦痛から妻の名をどうしても思い出す事ができなかったそうだ。
------
毎日顔を合わせているといっても家族はいつまでも永遠じゃない。
今お互いに生きているこの時を大切にしなければ・・。

42 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:46
@

私は母の顔がすごく嫌いでした。
なぜなら大きなやけどの跡があるからです。
よそのお母さんはあんなに綺麗なのに何で私のお母さんは・・・
とか、何でこの人が母親なんだろう
とさえ思ったことがありました。

そんなある日のこと。

その日の四時間目のこと私はあることに気づきました。
夕べ徹夜で仕上げた家庭科の課題が手元に無いのです。
どうやら家に置いてきてしまったようです。
あたふたして勉強も手につきません。
家庭科の授業は五時間目。
私は昼休みに自宅まで取りに帰る事を決心しました。

43 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:46
A

四時間目も終わり帰る準備をしていたところ、クラスメートが
「めぐみ〜、めぐみ〜、お母さん来てるよ」
と言いました。
私は、はっとしました。急いで廊下に出てみると何と母が
忘れた課題を学校まで届けに来ていたのです。
「なんで学校にきてるのよ!取りに帰ろうと思ってたのに!」
と息を立てて問い詰めると、
「でも、めぐみちゃん夕べ頑張ってやってたから・・・」
といいました。
私は、
「おばけみたいな顔して学校来ないでよ、バカ!」と言って
母から課題をひったくるように取り上げるとすたすたと
教室に入った行きました。
自分の母親があんな顔をしていることを友人達に知られて
しまったことで私は顔から火が出る想いでした。

44 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:47
A

その日の夕飯後のこと私は父親に呼ばれました。
昼間のことで怒られるのだろうな・・・と思いました。
すると父親は予想に反してこんな話をはじめました。
「お前がまだ生まれて数ヶ月の頃隣の家で火事があってな。
その火が燃え広がってうちの家まで火事になったことが
あったんだよ。そのときに二階で寝ていたお前を助けようと
母さんが煙に巻かれながらも火の中に飛び込んでいったときに
顔に火傷を負ってしまったんだよ。」
「今お前の顔が綺麗なのは母さんが火の中に飛び込んでいって
お前を助けたからだよ。」
私はそんなことは、はじめて聞きました。
そういえば今まで火傷の理由を母から聞いても
あやふやな答えしか返ってきたことはありませんでした。
「なんで今まで黙ってたの?」
私は涙ながらに母親に聞くと、
「めぐみちゃんが気にすると思ってずっと黙ってようと
思ってたんだけど・・・」
といいました。
私は母への感謝の気持ちと今まで自分が母親に取ってきた
態度への念とで胸が張り裂けそうになり
「お母さん〜」
と言って母の膝の上でずっと泣いていました。

今では自分の母の顔のことが誇りにさえ思えるようになりました。
家族を、私を守ってくれた母のこの顔の傷のことを・・・。

45 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:48
あ、Bだったw

46 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:51
私は小さい時から中耳炎で、しょっちゅう耳が痛くなって治療のために耳鼻科に行っていました。
小学校に入ると私が耳鼻科に行くために学校を休んだり早退したりすると
クラスの子に「病気でもないのに、授業を受けたくないから仮病を使っているんだ」と
散々からかわれて辛い思いをしていました。

うちの母は片耳が難聴で聴こえないんですが、おばあちゃん(母方の)がそれを気にしていつも
「ごめんね、お母さんの耳が悪いから○○ちゃんの耳も悪くなってしまって」と私に謝るのです。
小学3年生のある日、おばあちゃんが急にうちに遊びに来て「これから巣鴨に行こう」と言い出しました。
当時は子供すぎて巣鴨に何があるなんて知らなくて、ただおばあちゃんと出かけるのが嬉しくてついて行きました。
巣鴨に着くとおばあちゃんは長い行列に並んで
「ここはとげぬき地蔵様があるんだよ、お地蔵様の自分の体の悪いところを洗うと
身代わりになって治してくれるの」と言いました。

私たちの順番になるとおばあちゃんはシワシワになった手でタワシを持ってお地蔵様の左耳を
ゴシゴシと擦りながら「○○ちゃんの耳がよくなりますように」と一生懸命洗ってくれました。
帰りにおばあちゃんは「あんみつ食べて行こうか」と言って一緒にあんみつを食べました。
おばあちゃんは6年ほど前に亡くなったんですが、おかげで今では中耳炎も良くなり、
ここ5年は中耳炎で耳鼻科に行ったことが一度もないくらいになりました。

おばあちゃん、中耳炎良くなってきたよありがとう。

47 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:51
私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。

家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。

その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。

ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。

48 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:55
@

糖尿病を患ってて、目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母が仕事で家に居なかった為)。

一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でもわかっていた。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。
私のことも、わからなくなってるらしい。
なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。

それから。
半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。

49 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:55
A

葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」

そう言って、私に封筒を手渡した。
ばぁちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。
中身は、通帳だった。私名義の。
二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」

その夜、初めて泣いた。

ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。

50 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 01:57
昨日、http://www.geocities.co.jp/Beautycare/8256/2002.5after.htmlに行ったんです。
そしたらなんか涙がめちゃくちゃいっぱい流れて止まらないんです。
で、よく見たらなんか「2002年5月後半闘病日記」、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
俺な、他人の闘病日記くらいで普段流してない涙流してんじゃねーよ、ボケが。
所詮他人だよ、赤の他人。
なんか文章が妙に明るいし。知り合いの妊娠告白を心から喜んでんの。せつねーな。
「左足の小指の壊死部分が落ちた。これで4本指だーヤクザだー」、
とか言ってるの。もう見てらんない。
お前な、とても苦しそうなのになんでそんなに強いんだと。
闘病日記ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
病院の同室の奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
医療ミスで主治医を訴えるとか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。
女子供なんだからもっと甘えてろ。
で、やっと落ち着いて読めるようになったと思ったら、
最後の行に5/22 20時17分 逝去、享年23歳とか書いてあるんです。
そこでまたボロ泣きですよ。
あのな、他人の死に涙するなんてのはきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
マヌケな顔して何が、嘘だろオイ、だ。
俺は本当に心から悲しんでるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間自分を問い詰めたい。
俺、薄幸の美少女に涙する自分に酔ってるだけちゃうんかと。
あまりのショックでボロボロの俺が今、自分の心の中での最新流行と言えばやっぱり、
ネタ扱い、これだね。
誰かが俺みたいな奴を釣るためにネタとして書いたことにする。これが理性の保ち方。
ネタ扱いってのは騙された悔しさがある。そん代わり哀しみが少なめ。これ。
で、さらに2chに「おまいらネタに騙されてやんの」とカキコ。これ最強。
しかしこれをすると彼女を愚弄しているという後ろめたさまで二重に伴う、隼の剣。
素人童貞の俺にはとても出来ない。
まあそんな俺ができることといったら、
せめて彼女の魂が安らかならんことを祈るだけだってこった。。・゚・(ノД`)・゚・

51 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 02:08
で、コピペしているうちに涙が出てきたわけだ。

52 :('A`):04/02/24 02:13
>>51
               ___
      ,,、-'''"´ ̄    ̄`"''∧
     ∧             \、
   /                 ヽ
   |                 |
   |       ●     ●   .|
   ヽ       (_人__)    . /  モキュ?
     \  〃         ,、,,/
      "''-、、,,,,,,__,,,,,,、、-''


53 :葬送ダンス ◆cM2It.UhZI :04/02/24 02:15
何やってんだよ!兄さん!!!

54 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 02:17
>>53
いや、どうせモテないから泣けるコピペを集めてみたわけですよ。
そしたら何か、貼り付けているうちに自分が嗚咽してるんです。
もうね、アホかと。

55 :葬送ダンス ◆cM2It.UhZI :04/02/24 02:20
せっかくだから私が全部読みましょう。

56 :('A`):04/02/24 02:24
。・゚・(ノД`)・゚・。 兄さんにしてやられました…

57 :('A`):04/02/24 02:24
兄さん、ボロ泣きですよ!どうしてくれるんですか!

58 :('A`):04/02/24 02:25
>>9で滅茶苦茶泣いた。

59 :('A`):04/02/24 02:26
>>58
同じく。あと>>42-44でも泣いた。

60 :('A`):04/02/24 02:27
>>42-44で泣けた・・・

61 :('A`):04/02/24 02:29
昨年母を亡くした俺は>>11で涙が出た。
すごい気持ちがわかる・・・

62 :('A`):04/02/24 02:30
ヽ(゚∀。)ノらんらんらーんらーんらん♪

http://hatoko0001.hp.infoseek.co.jp/binzume.html



63 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 02:30
個人的にツボにハマったのを集めてみました。・゚・(ノД`)・゚・。

64 :('A`):04/02/24 02:33
あかん、涙出る


65 :葬送ダンス ◆cM2It.UhZI :04/02/24 02:39
>>7
>>8
>>29-30
>>38
>>39
>>42-44

涙が出てしまう・・・。もうね、>>7でいきなり来た・・・。

66 :('A`):04/02/24 02:46
>>1
2ch読んで泣くはめになるとは
正直おもわんかった・・・・

67 :('A`):04/02/24 02:48
ばあちゃんものは…

畜生、涙が止まらないや

68 :('A`):04/02/24 02:50
頑張って集めた>>1と対照的に>>3-4がカスに見える。

69 :('A`):04/02/24 02:53
てかこのスレたてたの256兄さんだったのかよ。

70 :('A`):04/02/24 02:57
>>42-44
なんか腹立つ話だな
自分の為と聞いたらそんなに母親の顔の印象が変わるものなのか
書いた奴が話に酔っている風にも見える

71 :('A`):04/02/24 02:59
このなかでなら>>1が一番心をエグるけど

まだ母親生きててよかった

72 :('A`):04/02/24 03:01
兄さん!以前ラジオで兄さんに電話した者だが、
兄さんがこんなコピペを持ってるとは正直驚きだ。
泣けてきた・・・・

73 :('A`):04/02/24 03:09
>>1
ありがとう、俺の荒んだ心が清浄されたよ。

74 :('A`):04/02/24 03:17
>>11
>>24
>>31
そして>>42-44
。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン

75 :('A`):04/02/24 03:36
良スレ浮上

76 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 03:39
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/6255/

微妙に泣けた。

77 :('A`):04/02/24 04:12
過去最良スレ!ここは消えてはならない。

78 :('A`):04/02/24 05:18
これからは周りの人たちに優しく出来そうな気がする

79 :('A`):04/02/24 05:18
>>70
ちょっと同意

80 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 09:59
少し長編になるかもしれませんが
最近気持ちの整理もできたので書いてみます。

今から6年前の話です。
僕がまだ10代で、あまり携帯電話は普及してなくて
ポケベル全盛期の時代のことです。

僕はその頃高校を出て働いていたんですけど
2つ年上の女性と付き合っていました。
お互いの親にも会ったりして
僕は結婚する事を信じて疑いませんでした。

毎朝ポケベルに「オハヨウ」とか
「ガンバッテネ」みたいなメッセージのやりとりをしていたのですが、
ある日僕がメッセージを送るのがめんどくさくて送らない日があって、
彼女からもメッセージは送られてきませんでした。
ちょうどその日は給料日で
僕は今日は彼女にメシでもおごろうと
どこに行こうか考えていました。
仕事が1段落つき、昼休みに入り
食事に行こうとした時に僕宛の電話がなりました。
その電話は彼女の交通事故を告げる電話でした。

81 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 09:59
僕はその電話を置いた後、
しばらく何のことかわからなかったんですが、
「今意識不明だ」という言葉に体中汗ばんだのを覚えています。
すぐに無理やり会社を早退し
彼女が運ばれた病院へ向かいました。
電車の中で「実はたいした事ないんちゃうかな?」
とか自分に都合のいい方にしか考えたくなかったんですが、
「もしかしたら・・」って考えると周りに人がいるのに
ボロボロと涙が出てきて、すごくさみしい気持ちが溢れてきました。

僕が病院に着く頃には、意識が戻っている事を祈りながら
病院まで走っていきました。
彼女の家族に出会い、容態を聞いてみると
彼女は集中治療室に入っている、という事を聞いて
事態の深刻さを悟りました。
外傷はほとんどなく、脳にショックを受けたらしく
まだ意識は戻っていませんでした。

僕はとりあえず会社に彼女の意識が戻るまで休む事を
電話で伝えて病室の前で、意識が戻るのを待つ事にしました。

その日は病院のソファーで、ほとんど眠れずに夜を明かしました。
目の前のストーブで背中は寒かったのに
顔だけがすごく火照っていました。

82 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 10:00
結局その日は意識が戻る事なく
次の日の朝1番で着替えなどを家にとりに帰りました。
病院に帰ってみると明日手術ができるかどうかが
わかるだろうという、医者からの話があったそうです。

そして5分だけ面会時間がもらえるとの事で、
僕は会いたいような会いたくないような、
複雑な気持ちでしたが、給食当番の時の様な服を着て
彼女に会いに部屋にはいりました。
部屋の中は訳のわからない機械がいっぱいで
その中のベッドの一つに彼女が寝ていました。

まるで眠っているだけの様な顔で
名前を呼べば今すぐにでも起き上がってきそうでした。
手を握ると腕のあたりに、点滴などの管が何本も刺されていて
容態の悪さを物語っているようでした。

それと唇が妙にカラカラになっているのが気になりました。
5分間をいうのは短いもので、
何か話しかけようとしたのですが、
なんとなく周りの目が恥ずかしくて
言葉らしい言葉をかけれませんでした。

83 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 10:01
顔を見ると眠っているだけに見えるので、
その日は少し気分も落ち着いて
なぜか「絶対大丈夫!」という根拠のない自信でいっぱいでした。
それからは彼女の意識が戻ってからの事ばかり
考えるようになり、頭の手術するんやったら
髪の毛剃らなあかんから、帽子がいるし買いに行こう!
と看病の事を考えて買い物に行く事にしました。
この時僕は目を覚ました彼女を喜ばせる事だけを考えていました。

さっそく帽子を探しに行き、
キャップは似合わんし、ニット帽だとチクチクするから
という事で、綿で出来た帽子を探して買いました。

買い物が済んで、帰ろうとした時に
街中を歩く女の子を見てると、
なんか自分が現実から少しズレた場所にいるような気がして
妙な不安を感じました。
その不安からか、彼女の意識が戻ったら正式にプロポーズしようと
安物ですが指輪まで買って帰りました。

その日も結局容態に変化はなく過ぎていきました。

84 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 10:01
次の日のお昼前、彼女の父親だけが医者に呼ばれて
病状の説明を受けるとの事だったのですが、
無理を言って僕も同席させてもらいました。
どうしても自分の耳で医者から聞きたかったんです。
多分あれほど緊張した事は今までになかったと思います。

医者の部屋に入って、医者の顔色を見てみると
どっちともとれない無表情な顔をしていました。
医者が口を開いて、簡単な挨拶が終った後喋り出したのですが、
病状はよくなるどころか病院に運ばれた時点で
すでに手遅れでした。
僕はこれを聞いて頭がグラグラして
椅子から落ちないようにする事しか考えれませんでした。
どうやら今治療をしている様に見えるのは、
家族に心の準備をさせる為に
無理やり心臓を動かして、体だけ生かして少しずつ
悪い方向へ持っていくというものでした。

僕は部屋を出て彼女の父親に、家族にはまだ言わないで欲しいと言われ
泣き出しそうなのをこらえて、母親に話かけられても
「用事が出来た」とだけ言い残して、誰もいない場所まで走りました。
街中であれだけ涙を流して大声で泣いたのは初めてでした。

85 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 10:02
それからちょうど涙が枯れた頃、病院へ戻りできるだけ普通に振舞いました。
その夜、彼女の父親と銭湯へ出かけました。
二人ともほとんど無言で風呂に入り、
話す事といっても関係ないどうしようもない会話ばかりでした。
僕は彼女の父親にはどうしても聞いておきたい事がありました。
僕が彼女と結婚するって言ったら許してくれるかどうかでした。
今考えると絶対に聞くべきではない時に聞いたような気がします。

病院に戻る前に父親を呼び止めて
ストレートには聞けなかったのですが、
買ってきた指輪を彼女の指につけてもいいか?と聞きました。
彼は黙ってうなずくだけでした。
その夜は眠る事ができなくて、家族と顔をあわせると泣いてしまいそうで
外で一人で過ごしました。

次の日また5分だけ面会できるということだったので、
もう1度彼女の顔を見に行きました。
彼女の顔は相変わらず眠っているようで
もう目を覚まさない事がウソのようでした。

僕は彼女の左手にこっそりと指輪とつけました。
もう何の意味もないのはわかっていましたが、
少しでも彼女に近づきたいという気持ちでいっぱいでした。
みんなが部屋を出た後僕は忘れ物をしたそぶりをして
ベッドの側に戻り、彼女のカラカラの唇にキスをしました。

86 :256兄さん ◆mM256OOOO6 :04/02/24 10:02
それからしばらく経ち、彼女は一般病棟の個室に移ることになりました。
医者が言うにはもう長くないので
少しでも家族が長く一緒に入れるようにとの配慮だそうです。
僕は1日のほとんどをその部屋ですごすようになりました。
何もする事もなかったのですが、
話かけると声が届いてるような気がして
耳元で歌を歌ったり、話し掛けたりしていました。
そして夜が明けて昼すぎになると、医者と看護婦が入ってきて
みんなを呼んでくださいみたいになって、
みんなが見守る中、心拍数を表示しているピッピッってなる
機械に異変が見られるようになりました。
最後まで僕に片方の手を握らせてくれた
彼女の家族に感謝しています。
それから1時間ほど経った後、
そのまま静かに心臓が停止しました。
僕も含め部屋にいる人みんなの泣き声だけが聞こえてきて、
覚悟はしていたものの、本当にこうなった事が信じられなかったのですが、
医者の何時何分とかっていう声に現実に引き戻されました。

そして部屋にいる全員が驚く事が起こりました。
僕が握っていた彼女の手がものすごい力で
僕の手を握り返してきたのです。
僕は本当に驚いて多分変な声を出していたと思います。
しばらくして彼女の手からスーっと力が抜けていきました。
僕は涙はふっとんで、全員にその事を伝えました。
すると彼女の母親が
「きっと一生懸命看病してくれたからありがとうって言ってるんやで」
って言ってくれました。
冷静に考えると死後硬直だったのでしょうけども、
その彼女の母親の一言で僕は今まで道を間違わずにこれたと思います。

年上だった彼女は今では僕の方が年上です。

87 :('A`):04/02/24 10:04
昼間っから泣いた。・゚・(ノД`)・゚・。

88 :('A`):04/02/24 12:10
彼女とかわけのわからない単語が出てきたけどジーンときた・・

89 :('A`):04/02/24 13:01
突然ですが武幸四郎がボッキしますた。
 ○ < ヽ(`Д´)ノアヤと今日もアヤパンパン
<|    
  |ノシ
  | ↑ブルンブルン

アヤいつものようにお馬さんスタイルになれ!
オレの股間のムチはもうブルンブルンだ。

 ○ 
<|  
  |ノ      _| ̄|○ <コウシロウサンハヤクー   ←アヤパン
  |         

(;´Д`)ハァハァ (ノ゚∀゚)ノはめはめ(ノ゚∀゚)ノはめはめ
(;´Д`)ハァハァ (ノ゚∀゚)ノはめはめ(ノ゚∀゚)ノはめはめ

 (;´Д`) 熱い、ヤバイ、間違いない!
  (   )  熱い、ヤバイ、間違いない!
  ノωヽ  熱い、ヤバイ、間違いない!

乗馬で鍛えた俺の腰使いでいけよアヤパン!
  ○ <ハイドウドウ♪               アヤパンがあやぱんぱんぱんぱーん!
  |\                          アヤパンがあやぱんぱんぱんぱーん!
  _ト ̄|○パンパン                   アヤパンがあやぱんぱんぱんぱーん!



90 :('A`):04/02/24 13:08
親に紹介したい人がいると告げ、帰省した。
よそ行きの服着てケーキ買って待ち構えてた親に、1/8榊さんの
フィギュアを紹介した。
もともとマンガ好きであずまんが大王も漏れのを読んでたおふくろは
「そんなことだと思った」と笑ってたし、親父はちょっとがっかりした
感じだったけどやっぱり笑ってた。で、親子でフィギュアを眺めながら
和やかにお茶して終了。
ただ、帰り際に「本当に榊さんのような娘さんが来てくれるといいわね」と
嫌味言われたけどな。つまらん話でスマソ。

91 :('A`):04/02/24 13:10
理解してくれる親・・・凄いかも


92 :('A`):04/02/24 13:21
>>90
親の気持ちを考えると泣けるね。
自分は限りなく息子に近い人間なのに。

93 :('A`):04/02/24 13:22
育て方を間違えた、とかよく言うけど別に親は悪くない
世の中がいけないんだと思う

94 :('A`):04/02/25 00:03
。・゚・(ノД`)・゚・。

95 :('A`):04/02/25 12:55
泣けねえよ

96 :('A`):04/02/25 20:35
もう何年も働いてるけど、最初に稼いだ金どころか、
今まで一度も親に自分の稼ぎで何か買ってやったこともないし、小遣いもあげたことない。

そんなものやってもよろこばねえだろ。喜ばせる気もねえし。




97 :('A`):04/02/25 23:46
命に関わるネタは泣けやすいな。
その次が親の心子知らずってパターン。
手軽に感動できるのでコピペ集を本にしたら
ベストセラー間違いない。

98 :('A`) :04/02/26 01:26
今日、泣ける2ちゃんねるを買いますた。
やっぱりばあちゃんものに弱い漏れ。

99 :('A`):04/02/26 01:46
何か長かったからログ読んでないけど
>>90の親は泣いたと思う

100 :('A`):04/02/26 01:49
たけし?じゃ慰安

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